北海道車中泊の旅・完結🥲函館四稜郭〜兵どもが夢の跡
16日間の北海道車中泊の旅も最終日となりました。また来るぜ!北海道…
函館 四稜郭
五稜郭は知っているが四稜郭と聞くと、えっ?それナニ?と首を傾ける方もいるのでは?
Kazuも函館に来るまで知らなかったのです。
16日間の北海道車中泊の旅も最終日となりました。また来るぜ!北海道…
函館 四稜郭
五稜郭は知っているが四稜郭と聞くと、えっ?それナニ?と首を傾ける方もいるのでは?
Kazuも函館に来るまで知らなかったのです。
史跡 四稜郭の説明文によると、明治2年(1869年)の春、五稜郭に立てこもる旧幕府軍は新政府軍の攻撃に備えて五稜郭の背後を守る目的で急造しました。
四稜郭は周囲を土塁で固め四隅に砲座を設けましたが建物は作りませんでした。
地元の言い伝えでは兵200名と村民100名動員して昼夜兼行の作業で数日のうちに完成したと記されています。
そして、明治2年5月11日、政府軍の総攻撃が始まり四稜郭と五稜郭の中間にある権現台場を長州藩兵が占領したため退路を絶たれることを恐れた旧幕府軍は五稜郭へ敗走。
5月18日には五稜郭が開城され榎本武楊以下降伏、函館戦争は終わったと記されています。
権現台場跡
地形図で見ると権現台場跡は平坦地に近いのですが昔は小高い丘だったのかな?
四稜郭跡は五稜郭に比べると訪れる人はなく閑散としていました。
土塁の高さはおよそ3M程ですが壕の深さは0.9M程と深くはなく立って歩けば敵に見つかるし背後には山が控えているのでどうしてここに?という感じもします。
背水の陣とは川や海で背後は守られるものの逃げようがないということで今では強い決意を表現する意味で使われますが、四稜郭の背後は山ですのでここも「背水の陣」を敷いたとも言えそうです。
四稜郭跡
立待岬
函館山の津軽海峡に面した断崖の上にある立待岬…
この地名はアイヌ語の「ヨコウシ」:(待ち伏せする、すなわちここで魚を獲ろうと立って待つ)というところから立待岬 となったらしいが、こんな断崖絶壁で立って待つというのは少しクルシイ感じはするね。
この立待岬からは松前城のある松前町より津軽海峡を挟んで下北半島の先端大間の方がはるかに近い。
方向から考えても青森〜函館を結ぶ「青函連絡船」が良く見えたと思うので帰りを待ちわびる家族がこの地で「立って待つ」岬だったとも思ったりする。
現在の青函連絡船 摩周丸は退役してシーポート公園に記念館として係留してある。
シーポート公園のすぐ近くが函館朝市ですのでその帰りに立ち寄るのもいいですね。
北海道車中泊の旅もこの「立待岬」で終わりです。
フエリー乗船までこの立待岬で立って待つことにします。
長いようで短い16日間の北海道車中泊の旅でした。
一番の思い出は知床 羅臼の相泊温泉で地元の方とお話が出来たことかな?
そして美瑛の丘のパッチワーク
オロロンラインのどこまでも続く真っ直ぐな道も…
いや、北海道はどこもみんな良かったデス ^^;
始めての北海道でしたので移動時間の感覚がつかめず落ち着いた観光が出来なかったようにも思いますが来年、また北海道を訪れたいですね。
函館フェリーターミナル
北海道を車中泊で巡るにはフェリーの利用が欠かせませんね。
車検証を持って列に並ぶより事前予約が便利でお得です。
“https://moshimo.blog/wp-content/uploads/2024/09/1shiryoukaku-SP.jpg" width ="390″ height ="520″ alt="title :『 【北海道車中泊】津軽海峡フェリーで帰路につく 』画像説明文 :五稜郭は知っているが四稜郭と聞くと、えっ?それナニ?と首を傾げるのでは?Kazuも函館に来るまで知らなかったのです。" >史跡 四稜郭の説明文によると、明治2年(1869年)の春、五稜郭に立てこもる旧幕府軍は新政府軍の攻撃に備えて五稜郭の背後を守る目的で急造しました。
四稜郭は周囲を土塁で固め四隅に砲座を設けましたが建物は作りませんでした。
地元の言い伝えでは兵200名と村民100名動員して昼夜兼行の作業で数日のうちに完成したと記されています。
そして、明治2年5月11日、政府軍の総攻撃が始まり四稜郭と五稜郭の中間にある権現台場を長州藩兵が占領したため退路を絶たれることを恐れた旧幕府軍は五稜郭へ敗走。
5月18日には五稜郭が開城され榎本武楊以下降伏、函館戦争は終わったと記されています。
権現台場跡
地形図で見ると権現台場跡は平坦地に近いのですが昔は小高い丘だったのかな?
四稜郭跡は五稜郭に比べると訪れる人はなく閑散としていました。
土塁の高さはおよそ3M程ですが壕の深さは0.9M程と深くはなく立って歩けば敵に見つかるし背後には山が控えているのでどうしてここに?という感じもします。
背水の陣とは川や海で背後は守られるものの逃げようがないということで今では強い決意を表現する意味で使われますが、四稜郭の背後は山ですのでここも「背水の陣」を敷いたとも言えそうです。
四稜郭跡
立待岬
函館山の津軽海峡に面した断崖の上にある立待岬…
この地名はアイヌ語の「ヨコウシ」:(待ち伏せする、すなわちここで魚を獲ろうと立って待つ)というところから立待岬 となったらしいが、こんな断崖絶壁で立って待つというのは少しクルシイ感じはするね。
この立待岬からは松前城のある松前町より津軽海峡を挟んで下北半島の先端大間の方がはるかに近い。
方向から考えても青森〜函館を結ぶ「青函連絡船」が良く見えたと思うので帰りを待ちわびる家族がこの地で「立って待つ」岬だったとも思ったりする。
現在の青函連絡船 摩周丸は退役してシーポート公園に記念館として係留してある。
シーポート公園のすぐ近くが函館朝市ですのでその帰りに立ち寄るのもいいですね。
北海道車中泊の旅もこの「立待岬」で終わりです。
フエリー乗船までこの立待岬で立って待つことにします。
長いようで短い16日間の北海道車中泊の旅でした。
一番の思い出は知床 羅臼の相泊温泉で地元の方とお話が出来たことかな?
そして美瑛の丘のパッチワーク
オロロンラインのどこまでも続く真っ直ぐな道も…
いや、北海道はどこもみんな良かったデス ^^;
始めての北海道でしたので移動時間の感覚がつかめず落ち着いた観光が出来なかったようにも思いますが来年、また北海道を訪れたいですね。
函館フェリーターミナル
北海道を車中泊で巡るにはフェリーの利用が欠かせませんね。
車検証を持って列に並ぶより事前予約が便利でお得です。